誰もいない隣室
社会人になって最初に住んだアパートの話。
木造二階建て。
壁が薄く、隣の生活音がかなり聞こえる部屋だった。
最初はストレスだったが、住んでいるうちに慣れた。
問題は、隣室の音だった。
毎晩、決まった時間になると会話が始まる。
男女の声。
笑い声。
テレビの音。
生活音としては自然だった。
ただ、妙な違和感があった。
毎日まったく同じ会話なんだ。
同じタイミングで笑い、同じタイミングで沈黙する。
まるで録音された音声みたいに。
ある夜、壁へ耳を当ててみた。
男の声が聞こえる。
「お前、ほんと変わってるよな」
女が笑う。
「でもそこが好きなんでしょ?」
ここまで毎日同じ。
気味が悪くなり、管理会社へ相談した。
すると担当者は不思議そうな顔をした。
「隣、空室ですよ?」
思わず聞き返した。
「いや、毎晩話し声が……」
「いや、本当に誰も住んでません」
その場で部屋を開けてもらった。
中は空っぽだった。
家具も何もない。
埃だらけ。
人が生活している形跡なんてなかった。
だがその夜も、声は聞こえた。
しかも前よりはっきり。
眠れなくなり、録音してみた。
翌朝、イヤホンで確認する。
確かに声は入っていた。
だが途中、自分が気づいていない音も録音されていた。
小さいノック音。
「コン……コン……」
録音時間を見る。
深夜三時。
その時、自分は隣の壁に耳を当てていた時間だった。
つまり。
ノック音は、自分の部屋の壁側から鳴っていた。
その日の夜。
また会話が始まった。
だが途中で止まった。
数秒の沈黙。
そして女の声が小さく言った。
「ねえ、今日聞いてるよ」
男が笑う。
「ほんとだ」
次の瞬間。
壁を、内側から叩く音がした。